これを書いているのは2023年の4月です。友人のたんちゃんが折りに触れては私のブログをほめてくれるのと、仕事でこのブログを掘り返してくれる人の出現が重なってたので久しぶりにログインしてみたら、2016年年末に書いていて保存したままになっていた記事がありました。8年ほど前の文章で、こまかい自虐とか自己ツッコミの過剰さに爆発したくなりますが、公開することにします。
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2016年は割と大変な年で、住み慣れた場所を出なきゃいけなくなって急いで引っ越したり、まだ一緒に仕事をしたかった人たちと離れたりしなければなりませんでした。しばらく毎日ずっと悲しかったけど、いつでもいいこともあるし(宇多田ヒカル氏が新しいアルバム出してくれたり、吉本ばなな氏のメルマガがnoteで始まったり)、おもしろい仕事もたくさんさせてもらったりして、総合するとよかったなあという感じです。いつでも総合すると「よかった」になるのですが。
Eテレ「びじゅチューン!」は作品のみならず、イベントとかグッズがてんこもりに増えました。作品世界の延長をいろんな形で日常に届けるというつもりでやっています。番組がすこし変わってるからか(でもNHKは変わった番組いっぱいあるし、まあ普通?)グッズまわりのスタッフの人々もすこし変わった方が多くて(グッズ以外のスタッフも変わった人多い)、打ち合わせが楽しいです。ちょっと変わった人でないと落とされる謎の審査があるのかしらと思うほどです。
いろいろと広がっていますが、番組の目的は美術の入り口になることなので、これからもそれは忘れません。
毎日小学生新聞で「美術でござる」という美術を忍者が紹介するという、自分がたまたま料理に使ったことある具材(美術と忍者)を一緒にいためて漫画でとじました、という感じの謎の漫画の連載が始まりました(毎月末の日曜に掲載)。
取材でいろんな展覧会に行けて毎回うれしいです。展覧会じゃないけど太陽の塔の中まで入れたのですよ!
漫画って難しいけど、編集部の方が優しいので自由にやらせていただいています。そういえば毎日小学生新聞の編集部も「ひとクセないと入れないのかな?」と思うような人が多いような気が。ちがうかな?
12月22日の毎小(←毎日小学生新聞のことを略してこう呼ぶらしい)の80周年記念号では、特別編集長をやらせていただいきました。たくさんやらなきゃいけないことがあったので、編集部にこもって作業させてもらったのが楽しい思い出です。編集部の方は「井上さん、作業進んでないのにまた居眠りしてる・・・」とハラハラしていたと打ち上げの時教えてくれました。ごめんなさい。
一度、編集長がお昼3時くらいに「今日の俺の仕事は、終わりや!」と言ってたのがおもしろかったです。こういうの書くと怒られるかな。きっとお忙しい日々の一コマなんでしょうね(悪意のあるフォロー)。
奈良市の仕事も2015年に引き続いてやらせていただき、選挙とかダイバーシティ(←多様性という意味)についてのアニメを作りました。せっかくだからいつもと違う絵柄にしようかな、と美少女っぽいタッチ(?)にしたら描くのがやっぱり難しかった・・・(過去に「サラ毛ぷっちょ」という作品で試してこりたのに忘れていた)。世の中の美形キャラが出てくるアニメ群を改めて尊敬しました。そういえば2016年に身につけたテクニックは、「まばたき」です。アニメのキャラにまばたきさせる術を身につけました。まばたきしてると空気がある感じになるからいいですね。絵が止まっててももつし・・・(←ダメな傾向)。
余談ですが、選挙の作品を作っていた時ドイツのミュンヘンにいて、「ドイツに来て奈良市の仕事をするわびさびよ」と思いながら美少女の絵を描いていました。
そうだ、ドイツに行かせてもらったのもいい思い出です。「びじゅチューン!」の「オフィーリア、まだまだ」の回が子供番組の国際コンクール「プリ・ジュネス」の7歳~11歳部門でノミネートされ、その授賞式やノミネート作品の上映会に参加させていただいたのでした。
バリバリ日本語で作った作品が、英語字幕がついてるとはいえ海外の人たちにおもしろがってもらえるのかなあみんな寝てたらどうしよう、と思いながら会場に行ったら、なんと大ウケで、上映後には「あなたはオフィーリアの人よね?握手して!グッジョブ!」といろんな国の人たちに声をかけてもらえて嬉しかったです。
ちっちゃいステージで一曲披露する機会もいただいたのですが、「オフィーーーーーーリア!」と会場の人が一緒に歌ってくれて、条件がいい感じにそろうとこういうことも起こるんだなあ嬉しいなあと思いました。
あと、ミュンヘン在住のナイスな通訳の方(日本人女性)と「びじゅチューン!」のプロデューサーさんと、いろんな上映作品を見たりごはんを食べてああだこうだお話したのがとても楽しかった。
函館市の仕事もしました(続行中)。函館駅のすぐそばにできたキラリス函館というビルの3Fに「はこだてみらい館」というハイテク技術(←という表現が私のローな感じにじんでいるけど)をいろいろ取り入れた子供も大人も楽しめる施設みたいなのがあって、そこにあるヨコ14,4m × タテ2.4mという劇場かなと思うくらいでかいモニタで流すアニメを作ったのです。
「函館に住んでるけど函館のことまだそんなに知らない」という人に向けて何か函館を紹介する作品を作ってほしい、というリクエストをお聞きして、「そういえば函館で有名なイカって、よく函館に来るのにすぐ食べられるから函館のことよく知らないのかも?」などと(いつものように)考え、イカが函館を観光するアニメを作ることにしました。タイトルは「ハコダテミュージカル」です。モニタのサイズに合わせて、いつものアニメに比べると2倍くらい横長な作品を作っているので、舞台を演出しているみたいでおもしろいです。
函館も知るといろいろおもしろくて、あれも入れたいこれも入れたい → どうしよう悩む → 寝よう!、となって締め切りに何度も遅れました。ウソです。
1本2分くらいのアニメをぜんぶで4本作る予定で、いま3本めを作っています。
地域密着っぽい(?)仕事いっぱいあるな。岡山県倉敷市の大原美術館で「井上涼のとらとらまごまご展」ってのもやらせてもらいました。大原美術館を作った児島虎次郎(こじまとらじろう)と大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)がどんな二人だったのかというのを、いろいろ取材して私なりにまとめて、歴史編と歌編のムービーにした作品展示でした。
最初に美術館から声をかけていただいたのはもう3年以上前で、何回も倉敷に呼んでいただいて取材してやっとこさ2016年に作品になったのでした。展覧会が紹介される時、やたらと「足掛け3年に及ぶ取材をもとに作られた作品!」と書かれていて、3年ずっと取材していたわけでもないからヒヤヒヤしました~。
スタートから3年も経ってしまったけど、最初に感動した「虎次郎さんと孫三郎さんが、お互いを思いながらも別々に動いて美術館を形にしたその心の過程」という部分を形にできてよかったです。
こうやって書き連ねてみると、地理とか、歴史とか、政治とか、あと美術史とか、学生のころ苦手だったものを扱った仕事ばかりだなあ。今になって勉強させてもらえてありがたや・・・。
やる気あり美も1年中何かしら活動していました。サイトの更新が滞りがちだったけど、後半にかけていろいろと他のメンバーの活動が増えて、そのサポートのようなことをしたりもしていました。
自分のプロジェクト?では、春につくった「確信」という作品がいろいろな人に見ていただけて嬉しかったです。韓国からも反応があったりして。
一人で曲とアニメを作ったという点ではいつもの個人の制作と同じなのですが、メンバーの太田氏が漫画でいうところの編集者的な立場で関わったことが大きな違いでした。私は小ネタとかに走りがちな傾向があるのですが、太田氏がそこをうまくコントロールして、作品の全体観を見ながら制作できたのではないかなと思います。
余談ですが、曲に出て来るクラリネットとかトランペットは、高校のブラスバンド部の人が個人練習してる時に「ちょっと合わせてみる?」と言って一緒に吹いている感じをイメージしています。県大会に出れるか出られないか?ハラハラ・・・っていうぐらいの腕前のブラスバンド部の設定。自分が高校の時そうだったから!
力が尽きてきました。文章を書くのって大変だな。あとちょっとです。
2016年読んだ本で印象的だったのは「モモ」(ミヒャエル・エンデ 作)と、「くるりのこと」(くるり+宇野維正 著)です。
子どもと呼ばれる年齢層の人たちに見られることを想定した作品をつくる仕事が増えてきたので、自分が子どもの時に好きだった本を読み直してみようかな~と手に取ったのが「モモ」です。私は子どものころ背伸びしたがりのひねくれ小学生だったので、クラスの人より少しでも分厚い本を読みたい、という動機で「モモ」とか「ドリトル先生シリーズ」とかを読んでいました。
小学生の時は分厚いことが一番大事だったので(不純)、内容をぜんぜん覚えていなかったのですが、「モモ」めっちゃいい本~!忙しさに乗っ取られて周囲の人が徐々に変わっていくジリジリ~とした怖さとか、カメについていって時の国にたどり着いたときのよかった~という安心感とか、日本語訳の文章がきれいだからかいろいろな気持ちになれました。挿絵でモモの顔が描かれないちょっとした突き放し感も手伝ってか、本の刺激を受けて頭に出来上がるイメージが濃く思えておもしろかった。こういうの作りたいなと思いました。
「くるりのこと」はバンド結成20周年のくるりの現メンバー岸田繁氏と佐藤征史氏が結成から今までについて話すインタビューの本です。
くるりが音楽に人生を捧げてしまっていることが伝わって、インタビュー全体がとてもぐっとくるのですが、読んだ後で何度も思い出すのはくるりがユーミンとコラボした時に、ユーミンから言われた言葉というやつで、それは「最初に好きになってくれたファンのことを喜ばせ続けることが大事」(←たしかこうだった)というものです。それで、私にとって「最初に好きになってくれたファン」って誰だっけ?と考えると思い浮かぶのは「疲れたOL」。もちろんそれだけじゃないんだけどパッと思い浮かんだのはその層(もしくは「疲れたOL的な気持ちを持っている全ての人」)でした。
最近、ファンと呼ばれる方々の年齢の幅が広がっていて、小学生を始めいろいろな視点を意識することが多いのですが、改めて「ちょっと会社疲れる~・・・」というOL的(?)な気分を持った人のことを考えようかな~と、本の一節を読んで思いました。私も会社勤めを辞めて変化しているし、この考えは全くの見当はずれかもしれないのですが、ぼんやりとした「自分の役割」といったものを考える時、「疲れたOL」のことが頭に浮かぶのでした。そして決まって「家に帰ってヘアゴムを外す」 or「ヘアゴムで髪をまとめている」姿が思い浮かぶのよ・・・。
という感じで2016年をまとめました。力尽きました。2017年もがんばります。


こんにちは井上涼です。ブログを更新しないうちに2016年になりました。2015年はびじゅチューン!を作り続けながら、個展をしたりやる気あり美をしたりイラスト描いたりライブやったりしました。書ききれないくらい仕事をしましたが、2016年も変わらず働きたいと思います。で働く前に2015年を振り返っておきます。(ある程度わたしの活動についてご存じの方が読んでいるという想定で書きます〜)
Eテレ「びじゅチューン!」の仕事は2012年から準備をはじめたので3年以上やっています。有名な美術作品を歌とアニメで紹介するという趣旨なのですが、いくつ作っても(現在35作以上できてます〜)美術というのは面白く、私の中ではどんどん広がる一方です。ひとつずつ触れている美術作品も、歴史の中でつながっていたり、同じ宗教の考え方から生まれていたりしていて、少しずつ大きな流れが見えそうです。「飽きた」なんて書き込みをネット上で見つけてしまったり(探しちゃうのよね…)もしますが、まだできることがあると確信しています。がんばるぞ〜
夏の個展では超絶たくさんのお客さんとお会いする事ができました(毎日会場にいてサインだ握手だってやってたからです)。ベビーカーに乗ってるお子さんのファン(いつも番組見て踊ってるんですけど今寝ちゃいました、ってその子のお母さんが言ってたからファンと言えよう)から、60代のマダムのファンまで幅広い方々にお会いできて、自分のアーティストとしての活動の像がふんわり見えたような気がしました。ちなみに20代〜30代の女性のファンの方は、真面目でユーモアもあるけど少し不安げな方が多いように見受けました。あれはどうしてなんだろうなあ。
あと、個展の一環としてライブを始めました。私の作った作品を流しながら私が歌う(紙芝居とかもする)イベントです。ヘタウマなカラオケをお聞かせするのは毎度気が引けますが、音楽を活動の重要な要素としているからにはやるべきだと思っているので2016年も許される限りどんどんやっていきたいと思います。(自主的な)全国ツアー中なので、お近くに来たならばぜひおこしください〜。
ゲイだとカミングアウトして10周年、という自分にしかあまり意味がない記念の年でもあり(たしか5月12日とかが記念の日なので、まだ微妙に記念イヤー中なのですが)、やる気あり美の一員としてLGBT(もちょっとていねいに言うとLGBTQ)についての活動を始められたことは大きなことでした。でもまだまだ活動も勉強も足りません。まったく安定する気配を見せないこのやる気あり美ですが、続ける事がだいじだと私は考えますのでひきつづき関わりたいと思います。
あ毎年5月に「カミングアウトして○周年」というタイトルの文章を(誰に頼まれた訳でもなく)書いているのですが2015年は書けませんでした。いまやる気あり美での作品を準備中なので、それが完成したら書こうと思います〜
あ2015年のこともうひとつあった。
私にとってアーティストとは、奈良美智さんや村上隆さんのような技術と知識をもって「コンテクスト」(←いまだに苦手…)をピキーン(←ひらめきの音)と踏まえた作品を作るすげ〜人というイメージなので、ずっとアーティストと名乗るのがおそろしかったのですが、2015年を過ごし「もうこれはアーティストという職業でしかないかも…」と思いアーティストを名乗ることにしました。
以上です。
悲しい事も残念な事もたくさんあったけど、仕事をたくさんできていい年でした。今年もひとつひとつ大事に作っていきたいです。どうぞよろしくお願いします。