
わたしはゲイですよ、と頼まれてもないけどカミングアウトしはじめてから5月13日で9年になりました。こんにちは井上涼です。毎年このブログにはそのとき考えていることをダラララ~っと書いてきたので、今年も誰にも頼まれてないけど書いておきます。毎年読んでくださっている奇特な方にはくりかえしになりますが、最近テレビなどでわたしのことを知った方もたくさんおられるので、あらためてわたしがどうしてカミングアウトしたのかを書いておきます。長文まとめられるかしら…。
ただ、これらのことは私個人の体験からくることであり、他のゲイの人もみんな全く同じように考えているかというとまた違う、ということをご理解ください~。
2005年の5月にわたしは↓この作品を作ってカミングアウトを始めました。美術大学の3年生の時です。ひまな時にご覧ください。
「男の人を好きか女の人を好きかなんて個人的なことだから、どうして自分から発表するのか必要性が分からない」と会社員のとき先輩から言われたことがあって、そう言いたくなる気持ちもわかるなあとは思うのですが、わたしがカミングアウトしたかったのには大きな理由がふたつありました。
ふたつの理由は、根元までたどればひとつなのかもしれないけど「理由はふたつありました」って書いてみたかったからふたつだということにします。ぐへへ
ひとつめは「好きなもののことを好きと言えないのがつらい!から」でした。
もともと私は、ムキムキでガハハって笑うような男!俺、男!というタイプではなかったけど、カミングアウトする前は「ゲイだとバレないように、世の男性が好きじゃなさそうなものを好きだというのはやめよう」と努めていました。たとえば少女漫画(いまは男の人も好きって普通に言うけど)、ピンク色、セーラームーン、スカート、ハイヒール、などなど。ピンヒールで踊る安室ちゃんには昔から憧れていましたがそのことは言えませんでした。(←言えない、という言い方は被害者っぽくていやだけど)
そして、「瑛太かっこいい!」「ジョセフゴードンレヴィットかっこいい!」といった、かっこよくて好き~な男性について話すこともしませんでした。
「気持ち悪」と言われるのが怖かったからです。今でも怖い!
好きなもののことを好き好き言うのはとても楽しいです。わたしは「ものを好きになりやすい」少々おめでたい性格をしていて、日常に好きなものがあふれています。(苦手なものも多いですが)
だから好きなものを好き~っと単純に言えないことは大きなフラストレーションになっていたのです。ということでカミングアウトしました。これが理由のひとつめ。
(長文で息切れ中)

ふたつめの理由は「日常でつくウソが多くなりすぎる!から」です。
ゲイだということを隠していることは、私にとって性別を隠しているようなもので、オスカルが大変なように(オスカルとはまた事情が違うけど)(そしてベルばら読んでないけど)、あちこちでウソをつかないといけない生活はちょっと大変です。
彼女がいることにするとか、「どんな女性がタイプ?」と聞かれた時にはこう答えようとか、笑い方や手の仕草も意図的に(しかし過剰になりすぎないように)すこし男風にしたりして、ウソをついたり気をつけたりすることがたくさん増えるのでした。
「この人は私が女っぽくても男っぽくても気にしないタイプかな?」「この人はゲイとかそういうのには全然理解してくれなさそうだな〜、気をつけよう」と周囲の人のことを測ろうとしてしまうし、あまり気が休まることがありません。
そこにさきほども書いた、わたしが元から持っている「好き好き言いたい」性質(こう書くと私ってJ-POP)が真逆の圧をかけるので、窮屈でものすごく外に出たいけど怖くて出られない、というようなまさにクローゼット状態でした。それが嫌で嫌でしかたなかったのでカミングアウトしました。これが理由のふたつめです。

カミングアウト以降の生活がどう変わったかというと、あれかわいい・これかわいい・あの人かっこいい・この人もかっこいい、と好きなものを好きだとハッキリ言えるようになりました。周囲の人の考え方には無限にバリエーションがあるので、発言する時の怖さはいつでもありますが、それでも生活はずいぶん変わりました。楽になったのです。よかった!
と同時に、周囲の人の困惑を目の当たりにもしました。私は今年(2014年)の3月までの7年程度、会社づとめをしていたのですが、会社生活においてはある種の「わかりやすさ」が求められるように思います。「この人は男、だからこう振る舞うだろう」「この人は40代、だからこういうことを言うはず」といった予測のもと、人は人と接しているようです。友達同士であれば、よりお互いを知っていく中で「この人は、発言は男っぽいけど家具(?例えが変か?)はかわいいものが好きなんだな」とかその予測から外れる部分も受け入れていけるんだと思うのですが、会社の中では効率よくものごとを進めることを求められるからなのか、予測とちがうイレギュラーに面するとみんな少し困ってしまうようでした。これはちょっといやだった。
「井上くんは男として扱えばいいのかな?でもなんか発言は女だな…。でも完全に女ってわけでもないし。???」と周囲の人が考えている瞬間をたくさん目にしました。そのたびなんとなく申し訳なくなったりしつつ、でもカミングアウトしてしまったししょうがないかと思い直して過ごしました。誰かを責めたいのではありません。私も「この人はきっとこんなだろうな」という予測をもって人を見ているし、そこから外れると「あれれどうしようかな」と困りますもの!大事なのはその予測から外れた人に会った時に否定に走らないことと予測のバリエーションを増やすことなのでしょう。
(長文で息切れ中)
話は変わりますが、
私は毎日のように近所の喫茶店に行っていて、毎日行きすぎて店員さんから「いのっち」と呼ばれるまでになっているのですが、そのお店には年配のお客さんが多くて、よくお会いする方は私にあいさつしてくれたりします。大好きなお店なのですが、ときどき聞こえてくる会話の中に「さっきのお客さん(←井上のことではない)オカマっぽかった。気持ち悪いね〜」といった言葉が混じっていることがあります。そんな時わたしはとても恐ろしい。ネット上には女装している私の写真とかムービーとかいっぱい出てるし。。。苦笑(”v”)
いまでも地域とか世代とかによってゲイやその他のセクシュアルマイノリティ(レズビアンとかバイセクシュアルとか少数派の性的志向をもつ人のことだそうな)に対する否定というのはくっきりとあるのでした。
そんな中、最近知り合った年下のゲイの人は「権利は勝ち取るものです」と言っていました。勝ち取るということが具体的に何をすることなのか、私にははっきりイメージはできないけど、「待っていない」ということなのかもしれません。

テレビなどに出させていただいたことで、私の知名度はすこしずつ上がっています。ま〜だ〜ま〜だ〜微妙なのですが。「知名度」というのは扱いの難しいパワーだけど、正しく使えばセクシュアルマイノリティにとっての、より「苦しくない」生活ができる助けになるかもしれません。でも「誰かのために」という考えはモロハソード(諸刃の剣をおもしろおかしく言おうとトライした言葉)だから、気をつけつつ何かできたらと考えています。出馬とかはしません。
ダラララ〜と今年も思いつくままに書きました。毎年こういうのを書くことが、どこかの誰かの何かを楽にすることがありますように。逆に誰かを重たい気分にしませんように。私は今年も生まれてよかったと思っています〜。
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